テニ厨

まったくのテニス無知な親が ウィンブルドンを夢見る我が子を ふわっと見つめる ゆるゆる育児日記

新型コロナウィルス

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まだ緊急事態宣言等が度々発令され、
コロナの症状も今より重かった時期である。

学校側ははっきり
出来杉先生が新型コロナに感染したとは
言わなかったが、その2日後
GW明けまで休校との連絡が来た。

後日先生が無事復活し、お会いした時に
「いや、本当にしんどかったです。
4日間高熱が続き、
胸と背中が圧迫されるような感じで苦しく
自分は体力に自信がある方ですが
少し体の弱い人が亡くなってしまうのが
わかる気がしました。
味覚は少し戻ってきましたが、
体力はまだ戻らず、部活は見るだけです。」

等々、フツーに話されていたので
やはりコロナだったんだと
確認した次第である。

感染経路はご自宅だったようで
幸いテニス部員は濃厚接触者に当たらず、
部活は先生より一足先に復活していた。
彼らの間で
「先生、“コロナになったら坊主だからな!”って
言ってたけど、坊主にしてくるかな?」

なんて声が聞こえたとか聞こえなかったとか笑



懐かしい、コロナ騒ぎが始まった頃↓
 

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過保護と思われるかもしれないが
6年生といっても中身はまだまだ幼いずう、
やはり一から自分一人でというのは難しい。

しかし何か一つ、楽しく解くきっかけ
みたいなものが作ってやれれば
一気にできるようになるような気がする。

だが、そのきっかけを作ってやるには
母自身が理解していなければ不可能なわけで、
ここへ来て数十年前に捨てた算数を
一から勉強し直そうと決めた母である。
(*ΦωΦ)ノ



母の根拠となるずうの生態↓

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C校までの道のりの殆どは
車線の多い国道と元有料道路だった
バイパスとで構成されており、
 途中にはインターからの
合流地点も複数ある。
基本交通量が多く、飛ばす車も多い中、
その流れに乗りつつ
瞬時の状況判断をしていかなくては
ならないという、
普段街中しか運転しない母にとっては
非常に過酷で恐ろしいコースなのである。

だが、この時ばかりは
緊急事態宣言のおかげで交通量が激減、
母は運良くこのコースに
慣れさせていただく機会を得た。

ちなみに母は高速道路を運転できない。
簡単には止まれないスピードで
走り続けるなんて
なんと恐ろしいことか。
ガクガク. : (((;"°;ω°;)):ガクガク

ただ車が嫌いというわけではなく、
母の昔の愛車はこれ。
ボディラインと後ろ姿に惚れて買い、
飛ばすことなく走っていた。笑
FTO



実は密かに不安がっていたあの日↓

高速道路はパパ担当↓


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各3〜4人ずつのブロックに分かれて
リーグ戦をし、それぞれのブロックから
成績の良かった選手2名が
決勝トーナメントに名乗りを上げる。
そしてそれ以外の選手が3位4位決定戦
(下位トーナメント)となるのである。

ずうはいつの頃からか
決勝トーナメントに入るのだけ
外せない目標となっていたようで
決勝トーナメントにさえ行ければ
とりあえず目標達成、
そこで1コケしても
それほど落ち込まないというか、
それ以上はどうせ勝てないと
思い込んでいるようにも見える。

今回その目標が達成できず
ずうなりに落ち込んだわけだが
その裏には
コロナ禍で公認大会が次々に中止となり、
普段草トーでは見ないような強豪たちが
試合を求めて参戦してきていた
ということも一応ここに記しておこう。
(;ω;`)ヾ(´∀`;)ヨチヨチ



“勝てる試合”が必要なわけ↓ 

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言うまでもなく
新型コロナウィルスの被害は
様々な面で甚大であった。
ジュニアテニス界に於いても
選手たちが目指していた大会が
次々と中止や延期となり、
特にずうの年代等
いわゆる“勝負年”だった選手や
ジュニアの最終年だった選手たちの
喪失感たるや察するに余りある。
 
だが、諸々立て直しが必要だった
ずうとその周辺にとって
このコロナウィルスによるブランクが
ある意味救いとなったことは
紛れもない事実なのである。

そう、起きてしまったことは仕方ない
レッツ ポジティブシンキングである。


ずうの学級崩壊はこちら↓


ステイホーム中はこちら↓




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