テニ厨

まったくのテニス無知な親が ウィンブルドンを夢見る我が子を ふわっと見つめる ゆるゆる育児日記

中学生・部活時代〈一年〉

515
母も昔よく言われた「チビ」という言葉。
母はそこまで気にしなかったが
ずうはかなり敏感である。
母的には
「可愛い」「小さくて可愛い」「チビ」
という感覚だし、
そもそも可愛がられてるんだったら
多少のことはいいじゃんと思ってしまうのだが
そこは感じ方、個人差なのであろう。

ちなみに「かわいい」という言葉が
一概に褒め言葉と言えないことをこの時知った。笑



チビネタはちょいちょいあります↓


514
まだ緊急事態宣言等が度々発令され、
コロナの症状も今より重かった時期である。

学校側ははっきり
出来杉先生が新型コロナに感染したとは
言わなかったが、その2日後
GW明けまで休校との連絡が来た。

後日先生が無事復活し、お会いした時に
「いや、本当にしんどかったです。
4日間高熱が続き、
胸と背中が圧迫されるような感じで苦しく
自分は体力に自信がある方ですが
少し体の弱い人が亡くなってしまうのが
わかる気がしました。
味覚は少し戻ってきましたが、
体力はまだ戻らず、部活は見るだけです。」

等々、フツーに話されていたので
やはりコロナだったんだと
確認した次第である。

感染経路はご自宅だったようで
幸いテニス部員は濃厚接触者に当たらず、
部活は先生より一足先に復活していた。
彼らの間で
「先生、“コロナになったら坊主だからな!”って
言ってたけど、坊主にしてくるかな?」

なんて声が聞こえたとか聞こえなかったとか笑



懐かしい、コロナ騒ぎが始まった頃↓
 

513
「ずうファン」
我が子がこんな風に思ってもらえたことは
正直、親としては嬉しいことである。

しかし、相手が手の届かない
憧れのミュージシャンとかならいざ知らず、
同級生に対し「君のファンです」と
何の躊躇いもなく名乗ったり
フツーに真似したりなんて、
とにかく人とカブりたくない母(とパパ)には
理解できない出来事であった。

きっと今時の子は
我々とはもう感覚が違うのであろう。
以前友達同士でわざわざお揃いの服を着るのが
流行った時期もあったようだし
昭和臭ぷんぷんの母(とパパ)
取り残される一方である。



※フェデラーの真似なら全然理解できます。
ずうのラケットはこちら↓


ずうのハチマキ、最初はヘッドバンドでした↓

512
中体連の試合で良いと思ったのは、まず 
勝てる試合と勝てない試合がある事。
一見当たり前のようだが、
初心者からガチ勢までが一緒くたに出場する
中体連だからこそであり、
勝ち上がる嬉しさと負ける悔しさが
ほどよく味わえる(ずうレベルの話です)事が
選手にとって大切な勝敗率のバランスを
保つのにとても良く思えたのである。

そしてさらに団体戦になると
普段当たれないようなエグいレベルの選手と
対戦できるチャンスがあったり、
さまざまな選手のプレーを
仲間内であーだこーだ言いながら
観たりできるのも
やはり中体連ならではである。

  個人で草トーや公認大会に出場しても
こういった経験はなかなかできないので
無観客試合という点を除けば
ここに来て正解だったと思う母である。
(*˘︶˘人)



勝敗のバランスのお話はこちら↓

有言実行、出来杉先生のブレない教育方針↓

511
コロナ禍に開催された
ずうにとって初めてとなる中体連の試合は
当然のことながら無観客試合となり、
保護者等の観戦も叶わなかった。 

今回ずうの相方を務めてくれた先輩は
ずうが小2の頃、JPのプレ的存在
「キッズプレイヤーズ」で半年ほど
一緒に練習したようすけ君(仮名)である。
彼は一旦他所のスクールに移ってしまい
それっきりになっていたのだが
ずうがC校へ移籍する少し前にJPに戻り、
忘れかけていた記憶が蘇ったばかりだった。

実際の所、一緒に練習した期間は短く
特別親しかったわけでもなかったが、
ペアで練習をするようになってから
急激に親しくなったようだ。
d(*゚∀゚*)




おおっ思えばここにいる男子がようすけ君でした!う〜ん感慨深い…↓


先輩に頼りすぎるずうはこちら↓

ずうのブースターはこちら↓



ずうのブースター、別バージョン↓笑



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