テニ厨

まったくのテニス無知な親が ウィンブルドンを夢見る我が子を ふわっと見つめる ゆるゆる育児日記

2022年05月

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 一人でやるサーブ練習などは別として、
ちゃんとした自主練を見たのは
ぶっちゃけこれが初めてかもしれない。笑
もっと大きくなれば
違ってくるのかもしれないが
今までこの年代での「自主練」といえば
往々にして遊び色が強いものであった。
なので当然のことながら
「自主練」に期待などしていなかった訳だが
そんな母をC校の子供たちは
見事に裏切ってくれたのである。

まず全員が
コートを使える時間を無駄にしない。
「次、何やる〜?」なんて
話している時間すら勿体ないといった様子で
どんどんメニューを考え、進めていく。
更に小学生に対しては
コーチの代わりでもするかのように
中学生が丁寧に相手をしてくれる。

この子供たちはなにーーー?(๑°ㅁ°๑) 
 
…良いお手本がいっぱいいるC校は
テニスだけでなく
色んな面でずうを育ててくれそうである。
. ⁺ •͙‧⁺o(⁎˃ᴗ˂⁎)o⁺‧•͙‧⁺.  


そういえば部活のノリに近いかも?↓

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当然のことながら
姉妹校全てが休講となってしまった。
心機一転、頑張ろうと思っていた矢先に
残念この上ない出来事であった。

テニスとは関係ないが
ずうの姉、ちゅみは
ちょっと可哀想な年代である。
幼稚園卒園時には東日本大震災の影響で
卒園式が簡略化されてしまい、
今回は新型コロナウィルス大流行のおかげで
中学校の卒業式が
超簡略化されてしまった。
本人は「まともに卒業できない年代なのー」
なんて笑ってはいるが、
そこは人生の節目、親としては
なんとなく不憫に感じてしまうのである。


 早いものでもう卒業!入学時のちゅみはこちら↓

休みになって嬉しい(?)ずうの学校はこちら↓

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母はずっと
ずうのやる気が出たり出なかったする
本当の理由が知りたかった。
 
ずうの話をもとに時系列で振り返ってみると
4年生の前半までは石田コーチの
集中型レッスンなどでグッと伸び、
生き生きとテニスをしていたはずである。
その後石田コーチが異動になり、
A校のシステムが変わり、
年齢的にも公認大会やプロを目指すという事が
どういうことなのかわかってきて、
同時にランキングや周りの目、仲間の動向などにも
意識が行くようになっていったのだろう。
大所帯ゆえに同じカテゴリーの仲間と
たくさん練習できるのは良いが、
何かと摩擦が起きやすかったのも事実である。

薄々感づいてはいたが、結果として
やはりずうの理解者である石田コーチが
A校からいなくなったのは大きかったように思う。
幸コーチとずうは海外遠征に行った仲であり、
母はどこかで
「石田コーチの代わりになってもらえたら…」
などと淡い期待を持っていたのだが
やはりずうも人間、
相性というものがあったようだ。笑

だが、これらすべてにおいて
仮にずうが勝率50%という結果を出せていて
それ相応の自信が持てていたなら
ここまで気持ちが不安定になることも
なかったのかもしれないと
Yプロの話に思いを巡らせた母である。



幸コーチの補講とは↓


褒めてくれた時もありました!↓


集中型レッスンでグッと伸びた頃↓



根無し草になったあの日はこちら↓


決定打だったかも?辛かった事件はこちら↓


Yプロの大切なお話はこちら↓

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普段なかなか自分の気持ちを
言葉にしない(できない?)ずうは
寝る前、母と二人きりの時が
比較的一番よく話してくれる。
移籍を前に、今だから聞けること、
今なら言ってくれそうなことを
探しながらずうとおしゃべりをした。

4コマにまとめてしまうと
スラスラとよく喋る子みたいだが、
本当はだいぶ時間をかけて
ぽつりぽつりと話したずうである。



A校にいたいと言っていたずう↓


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いまでこそ
長いトンネルを抜けられそうな兆しが見え
徐々に元の生活を取り戻しつつある世の中だが、
この時はまだこれほど生活が激変するなんて
想像もつかなかった。

だいたい当時の母は
そんな外国のウィルスがどうのとかより、
ずうに良さげな移籍先が見つかり
再び楽しそうにテニスをする姿が見られる日を
指折り数えていたのである。


楽しくやれそうな予感しかない移籍先はこちら↓
 

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