テニ厨

まったくのテニス無知な親が ウィンブルドンを夢見る我が子を ふわっと見つめる ゆるゆる育児日記

509
ちゅみが通っていた地元の中学は
昭和な香りに包まれた
今どきにしては少々お堅い学校だった。
いくつかの部活は特にその香りが強く
女子のソフトテニス部もその一つ。
昔ながらの体育会系、先生は絶対的存在で
練習中に水を飲むことすら
はばかられる雰囲気だったのだが、
母的にはまぁ中学の部活なんて
そんなもんかなという気持ちもあり
水分補給のあり方について以外は
だまって見守っていた。

この度ずうが通い始めたS中は、生徒の大半が
公共の交通機関を使って通学している。
遠方からはるばる2時間もかけて
通ってくる生徒もいるので、やはり
スマホOKとなるのはわかる。
そしてスマホがあるなら
 それを使わない手はない。

公立・私立それぞれ理由があり
なるべくしてそうなったのだろうが、
ずうを見ていると
ちゅみがひどく不憫に思えてしまう。
自分が子供の頃を思えば
そんなの当たり前だったのだけれど。
(´・ω・`)



女子のテニス部はこちら↓

4コマ目が謎な方へ↓

508
小学生と中学生って結構差があって、
身の回りの物が急に大人びてくる。
文字が小さく挿絵が少ない教科書に
小学校では禁止されていたシャープペンシル。
他にもマイロッカーや家の鍵、
満額6万超えの通学定期に財布等々。。

スマホについては受験とか関係なく
元々ちゅみと同じように
中学生になったら与えるつもりでいたのだが、
ちゅみと違うのは周りの所持率だった。
2人の若干の年代の差に加え、
ちゅみの周りにいた普通のお友達よりも
ずうの周りの子(特にジュニアテニス絡み)は
遥かに所持率が高く、その分
我慢しなければならない場面は
ずうの方が圧倒的に多かったと思われる。

使うのはリビングのみ、ゲームは入れないなど
我が家のルールは伝えたものの、
このつもり積もった我慢から
一気に解き放たれ、
第二のパンドラの箱とならなければ
良いのだが…(´・ω・`)



この時もだいぶ我慢してたんだろうなぁ↓


パンドラの箱?な方はこちら↓

507
長い間お世話になった恩師に対し
なんだか失礼にも思えたが
コロナ禍ゆえ簡単に会いにも行けず
こうするしかなかった。

テニスを続けている以上
これっきりということはないと思うが
それなら尚のこと
こういった節目には、きちんと会って
ご挨拶しておきたかったと思う。
(´・ω・)



懐かしい、初めてのB校レッスンは遠征直後でした↓

成長の証でもあるけれど、こんな態度も↓

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C校に通ったのはたった1年だった。
コロナ休校もあったため
本当に短い期間だったが、
自信もやる気も失いかけていたずうに
テニスの楽しさを思い出させ、
結果まで出させてくれたC校の閉鎖は
本当に残念でならない。
だが、
その素晴らしいC校を作った井野コーチが
今度はA校でジュニアを教えるというのだ。
勝手知ったるA校なら、ずう1人で
必要な時にいつでも訪ねていける!
これから先、中学の部活で
何かつまづくこともあるかもしれない。
そんな時、近くにいてくれたら
こんな心強いことはない。
(*˘︶˘人)

さて、それは良いとして
これからA校を引っ張っていく井野コーチ、
参考までに保護者側の話を聞きたい
ということのようだが、
こちとらA校を捨ててきた身、
何をどこまで話せば良いのやら。
正直ずうに聞かせたくないこともあるし、
下手をすると悪口にもなりかねない。

とりあえず我が家が移籍に踏み切った経緯と、
井野コーチの身を案じ
手当たり次第、片っ端からコーチに噛み付く
クセスゴな保護者の情報だけは
リークしておくことにした。笑



C校の素晴らしいレッスンはこちら↓





個々に寄り添ってくれていると感じたお話はこちら↓

505
終わってみればあっという間の小学校生活。
思い返してみれば夏休みも冬休みも
正月もない、テニス一色の日々だった。
特別そんな意識のないまま、結果的に
「普通」ではない小学生時代を過ごし
ここでまた皆とは別の道へ進むずう。

本人がやる気に満ちている今、
どこにも連れて行ってやれなかったなとか
本当にこれでよかったのかなとかいう
親的に少々引っかかる部分には蓋をし、
とにかく全力で応援するのみである。 
ガンバp(●´Д`)q



懐かし〜い入学時はこちら↓
 

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