テニ厨

まったくのテニス無知な親が ウィンブルドンを夢見る我が子を ふわっと見つめる ゆるゆる育児日記

513
「ずうファン」
我が子がこんな風に思ってもらえたことは
正直、親としては嬉しいことである。

しかし、相手が手の届かない
憧れのミュージシャンとかならいざ知らず、
同級生に対し「君のファンです」と
何の躊躇いもなく名乗ったり
フツーに真似したりなんて、
とにかく人とカブりたくない母(とパパ)には
理解できない出来事であった。

きっと今時の子は
我々とはもう感覚が違うのであろう。
以前友達同士でわざわざお揃いの服を着るのが
流行った時期もあったようだし
昭和臭ぷんぷんの母(とパパ)
取り残される一方である。



※フェデラーの真似なら全然理解できます。
ずうのラケットはこちら↓


ずうのハチマキ、最初はヘッドバンドでした↓

512
中体連の試合で良いと思ったのは、まず 
勝てる試合と勝てない試合がある事。
一見当たり前のようだが、
初心者からガチ勢までが一緒くたに出場する
中体連だからこそであり、
勝ち上がる嬉しさと負ける悔しさが
ほどよく味わえる(ずうレベルの話です)事が
選手にとって大切な勝敗率のバランスを
保つのにとても良く思えたのである。

そしてさらに団体戦になると
普段当たれないようなエグいレベルの選手と
対戦できるチャンスがあったり、
さまざまな選手のプレーを
仲間内であーだこーだ言いながら
観たりできるのも
やはり中体連ならではである。

  個人で草トーや公認大会に出場しても
こういった経験はなかなかできないので
無観客試合という点を除けば
ここに来て正解だったと思う母である。
(*˘︶˘人)



勝敗のバランスのお話はこちら↓

有言実行、出来杉先生のブレない教育方針↓

511
コロナ禍に開催された
ずうにとって初めてとなる中体連の試合は
当然のことながら無観客試合となり、
保護者等の観戦も叶わなかった。 

今回ずうの相方を務めてくれた先輩は
ずうが小2の頃、JPのプレ的存在
「キッズプレイヤーズ」で半年ほど
一緒に練習したようすけ君(仮名)である。
彼は一旦他所のスクールに移ってしまい
それっきりになっていたのだが
ずうがC校へ移籍する少し前にJPに戻り、
忘れかけていた記憶が蘇ったばかりだった。

実際の所、一緒に練習した期間は短く
特別親しかったわけでもなかったが、
ペアで練習をするようになってから
急激に親しくなったようだ。
d(*゚∀゚*)




おおっ思えばここにいる男子がようすけ君でした!う〜ん感慨深い…↓


先輩に頼りすぎるずうはこちら↓

ずうのブースターはこちら↓



ずうのブースター、別バージョン↓笑



510
これは嬉しいニュースだった。
まさかあのカムイ君がテニスを続けていて
中体連の試合に出ていたなんて!
コロナ禍なので観ることは叶わないが
続けているということがわかっただけで
何やらとても幸せな気分になった。
ずうのモチベーションも
さらにアップしたことであろう。
ガンバレ~(*˙˘˙*)و⚑⁎∗



懐かしのカムイ君はこちら↓ 
 

509
ちゅみが通っていた地元の中学は
昭和な香りに包まれた
今どきにしては少々お堅い学校だった。
いくつかの部活は特にその香りが強く
女子のソフトテニス部もその一つ。
昔ながらの体育会系、先生は絶対的存在で
練習中に水を飲むことすら
はばかられる雰囲気だったのだが、
母的にはまぁ中学の部活なんて
そんなもんかなという気持ちもあり
水分補給のあり方について以外は
だまって見守っていた。

この度ずうが通い始めたS中は、生徒の大半が
公共の交通機関を使って通学している。
遠方からはるばる2時間もかけて
通ってくる生徒もいるので、やはり
スマホOKとなるのはわかる。
そしてスマホがあるなら
 それを使わない手はない。

公立・私立それぞれ理由があり
なるべくしてそうなったのだろうが、
ずうを見ていると
ちゅみがひどく不憫に思えてしまう。
自分が子供の頃を思えば
そんなの当たり前だったのだけれど。
(´・ω・`)



女子のテニス部はこちら↓

4コマ目が謎な方へ↓

このページのトップヘ